機械式腕時計にデビューSEIKO5関連。アフィリエイトではないのですが、どうしても紹介しておきたいお店です。(楽天外のショップ) なんというか・・人なつこい店です。こんな店もあるんだ、とうれしい衝撃でした。 SEIKO 5 が好きな人なら、あなたもいっぺん行ってみましょう。 それ以外の人にはお奨めできません。(苦笑) http://homepage2.nifty.com/tencho/mr-shop/wachi.htm ←「Mr.Shop-時計屋さん-」 日本製SEIKO5も豊富にあります。 ====================================================================== 最近、自動巻き式腕時計を2本ほど購入した。 自分で買ったのは初体験である。 精度の悪い「自動巻き」を買うなんて我ながら信じられないことだった。 人生は突然旋回する。 買ったからには理由がある。 僕の機械式時計(自動巻きに限られる)に対する接し方は、邪道かもしれないが現実的ではあると思っている。 機械式は使ってみると結構いい味がある。細かい秒針の動き、ずしりとした重み。 身に着けた人の動きだけが動力源だなんて、エコロジカルでもある。 なんのことはない、究極のエコ・ウォッチは40年前からあったわけだ。 *下の写真は今から31年前、僕が小学校4年生のときに初めて両親に買ってもらった腕時計。 ケースの直径が31ミリほどしかないので、ボーイズサイズ、と言うヤツだと思う。(当時は腕時計といえば自動巻きだった) 今でも動くので現役で使っている。 オーバーホール?してませんよ、そんなもん。 「CITIZEN」の文字間が微妙に離れているところがレトロな感じ。* 「振れば、即座に動き出す」というのは機械式の魅力である。 当たり前のことだが、機械式時計は「電池交換が永久に不要」なのである。 何ヶ月も机の引き出しにしまってたものが必要なときすぐその場で用をなす。 これは「使える機能」だと思う。 一方、ボタン電池式腕時計の電池がひとたび切れていれば、こうはいかない。 ボタン電池式腕時計は何時だって動いているし、時間合わせの手間も年に何回かに過ぎない。 電池が手間を省いてくれるわけだ。 しかし、クウォーツ式時計の場合、借りた手間は一度に返さなければならない時がやってくる。それが電池交換。 電池交換となると、自分でやるとしても手間がかかるし、第一自分できるかどうかはわからない。 プロに任せるとして、時計屋に行くのもそれ自体面倒な話だ。 <電池を換えるためだけに店まで持っていくのがおっくうで、ついつい放置・・>という人もかなりいるのではないか。 店に出したとしても、防水検査などで何日もかかる場合もあれば、ホームセンターなんかだと機種によっては受け付けてくれない場合も多い。 そして、この電池交換、小額とはいえ有料だということも忘れてはいけない。 たとえ自分の手で電池交換作業をするとしても、最低限ボタン電池代はかかるのである。 そんな事情を知っている人はなおさら電池交換が億劫になる。 なんだか面倒だし、お金を出すくらいならひとつ新調しておくか。 となり、結局その古い時計は<使い捨て>。 ・・という買ったときには思いもよらなかった我ながら遺憾な結末を迎えた人もきっといるはずだ。 その点、自動巻き式時計は実にすばらしい。らくちん、なのである。 以上のようなクウォーツ式の電池交換のわずらわしさに比べれば、竜頭をちょっと回して時間を合わせる手間など「屁」みたいなものだ。(失礼。) その場で自分の手でできるし、しかもタダである。 3年ぶりだろうが、5年ぶりだろうが電池切れの心配は不要で「振れば、即座に動き出す」。 まさに究極の「お手軽」ウォッチではないか! <何年かに1回巡ってくる電池交換の手間と経費 VS.毎回コツコツかける手間>――あなたならどちらに重荷を感じますか?―― もうひとつ、「精度」の問題がある。 精度こそ大問題であるように思える。 機械式時計には誤差がある。自動巻き式時計の特徴のひとつである。 誤差を「日差」と称して1日単位で表示してある事自体、精度がいかに悪いかを示している。 対して、クウォーツ時計のほうは「月差」表示であり、たいていは ±15秒~±20秒 である。 これはもう全然違う。 誤差の点だけを考えれば、機械式時計を買う、というアイディアは正気の沙汰ではない。 にもかかわらず、なぜ機械式を買ったか? それは、腕時計を複数持っているからである。 同じ腕時計を身につける期間はせいぜい3日。最近は毎日取り替えている。 長くて3日つければ、次は別の腕時計を身に着けるのが僕の日常であり、着け終わった機械式時計はどの道動作を停止する運命にある。 一ヶ月に何分狂うかを計算するのは、もはや実用的な算数ではない。関係あるのは着けている3日間だけである。 3日間の誤差は一分以内であり、そうであるならば生活には何の支障もない。誤差3分までならおそらく支障はない。 そして翌日からはクウォーツ時計を身につける。これで誤差の問題は発生すらしない。 つまり僕の場合、クウォーツ式がこの世にあればこそ、の機械式なのである。 これが30年前ならこうはいかなかった。クウォーツは値段が高かった。 腕時計は高級品、というのが一般的な認識だったから、複数の腕時計を所持している人は一般的な人ではなかった。 所持している<我が宝>の一本が正確でないのは、毎日使うものだから、さぞかし悩みの種だったことだろうと思う。 でも今は違う。 クウォーツの廉価大量生産が始まり、腕時計は高級品ではなくなった。 だから複数の腕時計を所持している人は一般的な人となった。 一本しか持っていない、という人も今でももちろんいるだろうが、背景がまったく違う。 昔は財政的に一本くらいしか「買えなかった」わけだが、今は「買おうと思えばいつでも買える」から、なんとなく買っていないだけである。 その「いつでも買える」使い捨て腕時計はすこぶる正確、ときているから慌てることはまったくないのだ。 外した機械式は遅くとも翌々日には止まる。 使わないときには、停止してくれていて一向に構わない。 むしろクウォーツ時計にも<使わないときは停止する機能>をつけて電池の消耗を抑えて欲しいものだ。 一分でも違っていると気持ちが悪い、という人もいるだろう。 僕もついこの間までそうだった。 でもそれは冷静に自省してみると「強迫観念」に過ぎないことに気づく。 電車の到着時間だってそこまで正確ではない。 人と待ち合わせる場合、約束の時間には余裕を見て早めに到着するのが普通であり、一分一秒違わずに到着するのは、むしろいいことではない。 厳格に時間を守らなければならない職種はどれほどあるだろう? 世の中には信じられないほど多くの職種があるので、きっと一秒の差が物を言う職種もあるだろうが、 大事な仕事の大事な一秒を個人所有の腕時計で計るなら、それは不謹慎というものではないだろうか? 例えば、デイ・トレーダーなら電波置時計をディスプレイと並べて置くか、パソコンに付属している時計を利用すべきである。 一秒が大切なら、わざわざディスプレイから目を離して腕を見なければ時間を認知できない腕時計に頼るなど、基本がなってない、というものだ。 また、日常生活において一分の誤認が明暗を分けるシーンが人生でどれほどあるものだろうか? 少なくとも今までの僕にはなかった。 高校生の頃、一分遅くて門外に締め出されたことはあるが、別に時間を誤認していたわけではない。 それは「速度」の問題であり、ひいては生活態度の問題だった。 もうひとつ――「経済大国」日本を作ってきたのは機械式時計を腕に巻いた人たちだったことも付け加えておきたい。 それでも人間はやはり心配する。 いつの間にか大きく時間が狂い、とんでもない失態を演じはしないだろうか?と。 だから「強迫観念」なのである。 そこに気がついた時、機械式時計を買う、という選択肢がとたんに現実味を帯びてきたわけである。 (2006年10月20日) ジャンル別一覧
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